そばとうどんのウラ・オモテ (一)
錦3丁目でえびすや総本家を営んでいる中山義規です。

愛知麺業新聞に掲載しているコラムの一部をエッセイとして投稿することになりました。専門用語が出たりしますが、そばやうどんの事を少しでも理解して頂けたら嬉しいです。誰でも簡単に読めるように書きたいと思っています。またご意見や感想などを聞かせて頂けたら嬉しいです。

皆さん、「うどんのぬき湯」という言葉をご存じでしょうか。私は使ったことはありませんが、その後に使い道がなく、どうにもならない役に立たないものといった意味です。そばを茹でた後はそば湯になりますが、うどんは塩が溶け出てきます。湯たんぽの熱原にすらなりません。
私が子どもの頃、湯たんぽはブリキで出来ていました。前銅壺のお湯を入れて使っていましたが、塩分を含んだお湯を入れればすぐ錆びて穴が開いてしまいます。ですから「うどんのぬき湯」は捨てるよりほかありません。東京のそば店の主人が同名でエッセイを書き残されていますが、気楽な気持ちで読んで欲しいという気持ちが伝わるような気がします。

「そばとうどんのウラ・オモテ」そばやうどんを延ばしているとき、生地には表と裏があります。しかし包丁で切って茹でてしまえば裏も表もなくなってしまいます。厳密にはあるのでしょうが、現場の中ではどうでもいいことです。「うどんのぬき湯」のように、気楽に読んで頂きたいという想いでこのようなタイトルをつけてみました。私は麺食文化史の研究家ではありませんので、どの程度書き進められるかわかりません。必ずしも毎月原稿が出せるかもわかりませんが、実際に現場にいる者の視点を含めて臨みたいと思っています。
加えて残念ながら、一つの流れというかストーリー性を持って書き進めることは、私には難しいことです。あっちへ飛び、こっちへ飛びといったことになり、まとまりがつかず、読みにくいものになる恐れもありますが、素人ゆえご容赦をお願いします。